自分らしく生きること!

おはようございます。

最近、ジーパンの制作の依頼が増えてきて自分だけの一点ものを作ることが出来ています。その中で本当に思うのは『自分らしさ』これって本当に大切だなって思います。

世の中に新しい技術がどんどん増えてきて、昔のものって古いという感じを持たれる方もいるかと思いますが、人生の中で初めて何かに出会ったときの感動って忘れられないんですよね。自分の歴史の中で心に残る素晴らしい思い出ありませんか。人類史上初と言うのは難しいことかもしれませんが、自分史上であれば誰もが持つことが出来ます。

今日はジーパン史上初ではなく初めてジーパンを穿いた日本人についてお話します。

1827年1月27日はジョン万次郎の誕生日しました。この人は江戸時代後期に仲間と一緒に漁に出て無人島に漂着するんです。過酷な無人島生活のを仲間と過ごし、143日後にのアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられます。ところが、その頃の日本は鎖国をしていて外国の船に助けられ日本に帰っても死罪なってしまう。4人は結局、ハワイにわたりアメリカで過ごすことになりました。

そこで万次郎はジョン・マンという愛称で呼ばれておりました。その後、万次郎はアメリカ本土に行ってみたいと思うようになりました。その後、ホイットフィールド船長の養子となり、マサチューセッツ州フェアヘーブンで共に暮らしました。学校で、英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学びました。

卒業後は捕鯨船に乗り、数年の航海を経た後日本に帰国することを決意。帰国資金を得るために万次郎が向かったのは、ゴールドラッシュの起こっていたカリフォルニア。金鉱で得た資金を持って、ハワイの漂流仲間のもとへ向かいます。そして帰国準備を整えて、日本に向けて出航するのでした。

日本の薩摩藩領の琉球から土佐藩に戻るまでには2年の年月がかかったようです。当時は鎖国中でそう簡単に外国から来た人を受け入れられなかったのでとても苦労したようです。その後、色々あり藩士として取り立てられて、中濱万次郎と名乗り日本とアメリカの架け橋になった人物のようです。

万次郎はゴールドラッシュの時代にカリフォルニアの鉱山を万次郎は見ているんです。その頃に撮影された写真はジーパン姿だったんです。恐らく日本人で初めてジーパンを穿いたのはジョン万次郎だったと思われます。

自分らしく生きていると自分ができることを仕事にできるんだなと感じました。思ったことを行動すること、どの様な大変な状況でもそれを忘れず進むことって大切ですよね。

一点モノのジーパンの制作を受け付けております。詳しくは以下のページでご確認ください。
https://bltom.jp/toiawase/

最後まで読んでいただきありがとうございます。

自分だけのだったら良いなを形に!
ここで出会う一点モノのジーパン屋

BLTOM JEANS
鵜殿博文

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